|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ラヴ : [らヴ] 【名詞】 1. love 2. (n) love ・ 巡洋艦 : [じゅんようかん] (n) cruiser ・ 艦 : [かん] 1. (n,n-suf) warship
「パーミャチ・メルクーリヤ」〔艦名の片仮名表記は、に順ずる。参考文献の選択は、ウィキペディアの出典基準に準拠している。〕(〔今日のでは、 と表記される。〕)は、ロシア帝国が保有した帆装を持った蒸気軍艦である。設計上はに分類され、ロシア帝国海軍では当初は巡洋艦()、1892年2月1日〔2月13日。〕からは 1 等巡洋艦()に分類した。船舶の構造上の分類では、鉄製 3 本マストのバークに当たる。 「メルクーリイの記憶」という意味の艦名は、露土戦争で活躍したブリッグを記念したもの〔「パーミャチ」は正教会で「記憶」と訳され、聖人の記憶、生者のための祈り(聖体礼儀など)、永眠者のための祈り(埋葬式やパニヒダなど)で頻繁に出て来る単語であり、単なる「思い出」のイメージにとどまらない、祈りを連想させる単語である。記事「永遠の記憶」も参照。〕。その活躍により、時のニコライ1世は黒海艦隊はその名をもつ艦船をつねに保有すべしと命じた。この巡洋艦がその名を受け継ぐ最後のロシア帝国軍艦であり、かつてそのブリッグが授与されたとを受け継いでいた。 == 概要 == === 「ヤロスラーヴリ」 === 1877年から行われた露土戦争の終結を受け、ニコラーエフとセヴァストーポリの防禦を強化する方針を固めた。同時に、黒海艦隊向けに 14 kn級の巡洋艦を発注した。これが、のちに「パーミャチ・メルクーリヤ」と改称される巡洋艦「ヤロスラーヴリ」()であった。 「ヤロスラーヴリ」は、1879年5月、フランスのトゥーロンにあるフォルジュ・エ・シャンチエ造船所で起工した。発注は1879年5月5日〔5月17日。〕付けで義勇艦隊によってなされ、1882年3月2日〔3月14日。〕までは義勇艦隊に所属した。艦名は、ロシアの都市ヤロスラーヴリに因んだものであった。1880年5月には進水、1882年1月18日〔1月30日。〕付けで黒海艦隊の艦船リストに登録され、同年3月に竣工して黒海艦隊へ配備された。同時代の黒海艦隊の中では、最も俊足で強力な航洋軍艦であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パーミャチ・メルクーリヤ (巡洋艦)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Russian cruiser Pamiat Merkuria (1878) 」があります。 スポンサード リンク
|